昭和39年11月23日 月次祭
『信心する者の、真の神徳を知らぬ事。信心する者の、真の神徳を知らぬ事。疑いをさりて真の大道を開き見る、わが身は神徳の中に生かされておる。』如何に、神徳の中に生かされておりましても、それを開き見ようとしない。疑うてそれを問題にしない。そこに、真の大道も分からず、神徳の中にあっても、神徳の世界にある事が分からんから、不平不足の連続の生活をしなければならん。
心する者の真の神徳を知らぬ事。真の神徳を一つ分からせて貰わなければならない。有難い事には真の神徳の中にある、こういうお働きの中に、私共が生かされておるんだ生かされている、生かされておるんだと言う事が分からせて貰う所に、自ずと湧いてくるものは神恩報謝の心だ。神恩報謝の生活をしなければならない。というてその理屈が解って成程、お生かしのおかげを頂いておる印に、ね、
吸う息吐く息水一雫に至るまで、お米一粒に至るまで、御神徳の現れであると、理屈の上では分かってもです、だから神恩感謝ののいわば、生活をしなければならんと聞かされてもです、ね、自ずと湧いてこないものでなかったらつまらん。目を瞑れば有難いなあと思う、ね。ほんとに心の底から神恩報謝の心が湧いてくるという。それはお互いが真の神徳を知らぬからである。
信心とはその真の神徳を分からせて貰う。そのためには先ず疑いを離れなければいけない。それには先ずおかげを頂かなければ分かりません、ね。今日午後から熊本のほうから、竹内先生方がご夫婦親子、連れてみえられた。伊万里の方からは、お婆ちゃん方の御信者さん方二人連れてから、あちらにその信者さんの自動車で見えられた。丁度ここで一緒になられた。
又また片一方は熊本に、片一方は伊万里の方に帰られたんですけれども、その時古賀先生がこんな事をお話しておられますね。竹内先生のそのお姉さんのお子さんですから、おいごさんにあたる。その方が御道の教師を志されましてまだ、先生としての免許がないのです。ある教会で修行をしておられます。そして御本部で同期だそうです古賀先生と。そして、金光様の先生の資格を取って帰られた。
所がもう教会におるのが嫌で嫌でたまらん。兎に角裏表が分かってくると嫌気が差すわけなんですね。お互いいわば正義感というか、いわば御本部で習ってくる信心とは違う所がある。そこでその教会の生活というものには飽き飽きしてきた。とうとう四、五日前から丁度竹内先生がこちらへ来られようとしておるときに、ひょっこり見えられた。あらあんたどこ行っとったのか。
こうして私たちも椛目にお参りしよるから、まあ実を言うたら、連れてでも行きたいと言う様な気持ちでしょうけれども、いわば御本部でいわば、習うてきた道を間違えてもならんとか何とかと言う事にこだわっておられる。そんな事話されませんけれども、まっそう思われたにちがいない、ここに見えておるのですからね。だから、私が帰って車で待っとられただから暫くね。
私のほうへ来なさいと、あの伊万里のほうへ。私とお婆ちゃんと三人の生活の中へ。そこにまあ、御信者さんがたが毎日たずねてみえては、椛目のお話を頂かれ、そして信心の稽古をしておるから、それで雰囲気のなかのほうが良かろうと。あんたそのしばらく私のところへ来いと言うて、実はこちらへ参りましたという話をしておられました。時に、古賀先生が、こういう事を言ってるんですね。
「竹内先生、ここで有難いと思いますことは、ここではねもう目の当たりに神の声を聞き、目の当たりに神の姿を見れると言う事です」と言う。ね。私共は金光様の教師の資格を新しく頂いて、いわば七年間も修行をさせて頂いたんだけれども、ね、有難いと言う事は、実感的に分からなかった。有難い所謂心から湧いてくるもの、ね。その湧いてくるものが、この頃は頂けると言う事である。
しかも神の声を聞く事が出来るのであり、神の姿を目の当たりに見る事が出来る。別にでも、神様が白髪を生やした神様が椛目に現れなさるでもないです。そんな神様がこうやってこうお話を下さるわけでもないです。けれどもですそこなんです。疑えば限りが無い。疑いをさりて疑いを放れて、いわばここでいうならば大坪総一郎の信心に、疑いを持っておった所が段々、段々その疑問が無くなってきた。
無くなって来るに従って、これは椛目流にならなきゃいかん、椛目の親先生を本当に拝めれるようにならなければいかんと言う様な、状態に変わって来たんです。神様が色々と、生きた神様の働きを古賀先生の上に現せて見せてくれて下さるのである。竹内先生も「同感。そうですね古賀先生そうです。椛目におかげを頂きますと、それが頂けれると言う事。私共が求めて求めて求め抜いておったもの。
それが与えられると言う事が、椛目にご縁を頂いた者の、第一何よりものおかげでございます」と言うて話をしておられます。疑うておった者でも、疑うわけにはいけんごとなってきた。最近古賀先生なんかは、お伺い所かご出仕もなされん。私がもう立つでもかがむでも、ね戸がはいっとるならば、上がるときには上がっても良いでしょうかとお伺いしてから上がりなさいと、私が言うくらいに言うんです。
先生が御結界に座らせて頂いているときに、頭が一月おきにつむんだそうですけれど、これはお伺いせじゃこてと思うてから、まづ二、三日前でした。そしたら神様がね、愈々もって教えて下さった。七月二十二日と頂いた。七月二十二日。それはなるようでもならないかが分からなかった。それで私先生実はこんなわけなんです。けれども先生私がお伺いをしたら、早速神様がこうやって、お知らせを下さる。もう私はですね床屋に行くともこうなりましたとこういう。
これで有難いのですね。信心は神様は有難いお方じゃなあと分かると同時に、神様はまた、怖いお方じゃなと分かるようにならなつまらん。恐ろしかいわゆる恐ろしかごたるおかげば頂く。真の神徳が分からせて貰い、真の神徳が自分の上を付いて来る様になるとです、皆さんが何がなからにゃいかん、金がなからにゃいかんという、その物が金がいらんと言うても追いかけてくる。私が先日お夢を頂いた。あるここの熱心に信心を頂いておる氏子なんです。信者です。
私と家内がですね、ついにもしないけれども、今頃あんな子供の時通ったなりですから、行きもしないその場面を頂くんですね。皆さんご承知でしょうが、常持に金酒山という酒屋がありました。今でもあるかもしれませんね。一時今あるでしょうかまた、ほんとに、ね。かねのさけのやまと書いてある。その金酒山の所は、せんまいてあそこありますもんね。せんまいの金酒山の酒倉のあれ入る、大きな道があるトラックが入るような。そこからですね、なんともそれはたまがる、水晶の様な水なんです水は。
それがねもうばぁっとこう、流れ込んで来るんですね。あれはあのちょっと、その道側にばぁっとこう流れてそのあの押しかけるようにして、あそこを張り出されるように。金酒山の倉の中から出てくる訳なんですよ。もう私はびっくりしまして、家内の手を引っ張ってから、「はよ逃げないかん」ち言うてから、一生懸命この、ここの新道のほうへ、ここの新道のところまで逃げてまいりました。そしたらその人がおるのですね。私が今申しました○○さんが。
「先生、とにかくいきましょ、椛目の御広前に行きましょう」と言うて、三人でですね。椛目の御広前に逃げてくる所で目が覚めた。その方が思うてた事を申しました。もう大きな事業をしとりますから、ね、「もう、姑息な手段でもとって、儲けようとは思いなさんな」て。「あれば手に入れよう。こればこうしようという我流どん思うてしちゃ出来んよ」と私が。「ほんとに、信心させて貰い、神徳受けさせて頂いたら、神様がいらんと言うたっちゃです。
いらんと言うたっちゃ神様のほうから追いかけて来て下さって、おかげを下さるよ」。もう、お金はいらん、物も何もいらんと言うて、神様はそれこそ怖い様なおかげを頂く。私共は夫婦でよく話します。信心もできんのにこんなおかげを頂いてよかろうかと。いわば怖いのです。ね。金酒山というのは、金の酒の山と書いてあるから、まそれを推して知るべしです。しかも水晶のような水がです。
水は大いに出してあるお恵みの方から押しかけてくる。もうこっちはこうもう一生懸命逃げよる。ね。ですからどの様な場合でもです、いわばそういうおかげの頂けれる元、基礎というものをそれこそ頂いておるときなんだと。先日から二、三日、古賀先生のお母さんが歯を腫らして痛い痛いと言うてその二、三日休みました。その次か四日目にか出てきてから、その御無礼のお届けをさせてもらうと私が申しました。
「古賀さん、今元手が出来よると」。ね。「どういう元手かというと、勿論自他共に、助かって行くと言う事と同時なんですけれどもです、ね、お商売をするならその元手がいる。教会でもこれから開かなきゃならんというならば、元手無しにはいわば教会は開かれん。ただ教会を作るというだけじゃないです。人がドンドン助かって行くためにです、自分自身がそれの元を頂いておかなければ。
人に分けて与える事が出来ないと言う事。いうならば真の神徳を今こそ分からせて頂かなければならない時だ」と言ってお話したことです。ね。もう例えばね自分のあれです、才覚ですね。例えば商売をしておるなら、自分の商売の道をずうっと勉強して、そして人一倍の儲け出そうとさあ、成程儲ける事は出来るかもしれません。儲けだす事が出来るかもしれませんけれどもです。
さあその儲け出した事によって、幸せになるとは限らないのです。昨日も私田主丸のむつやの、お店が綺麗に改装になりました。その改装になりましたその、報告のお礼のお祭りを夕べ、私が仕えさせてもらいました。ね。「おかげを頂きよるという信心も有難いけれども、おかげの頂けるだけじゃいかん。ここの所をちょっと心掛けを変えると。ここん所をちょっと思いを変えると、ここの所をもうちょっと迫力を出させて貰うと、事は同じ事の様な事をしながら、御徳を頂いて行けれる信心よ」という。
私は話をさせて貰う。けれども私はお祭りを仕えさせて頂こうと、とこうもう装束着けてから、こう並んでおりました。所がその長男の信司さんと、それから今の番頭さんといわれます所の、そのあの角田さんですかね。角田さんが居りません。けれど私がお店の事だから、お店の代表の方にひとつ玉串を上げてもらおう、お祭りに参画させて頂こうとこう思うておったから、田代さんどんな風ですかといったら、今下のほうでお店を閉めなさいと言いよる所へその、お客さんが入ってみえた。
しかも二人がかりでこうやってその、相手をしなければならんようなお客さんである。それで「先生すいませんけれども、先にお祭りを先に仕えて下さい」というわけでした。私はその時に、その自分のと従業員とに、ちょっと食い違うものですから、これを御祈念してもらったらね、頂きます事が、あぁご理解して下さるんですね。『草冠を頂いた。そ下に化けると、化するという字ですね。それを頂いた。あわせると花という字になる』。花と言う字を頂いて、ね。
例えて言うならば今日はお店が、綺麗になった美しゅうなったと言う所のお礼のお祭りなんだと。そのお祭りに下で花を添えて頂いている様なものなのだ、お店が繁盛しておると言う事は。いわば既にあれはお祭りなのだと。いわばあの二人がここに上がって来んでも、苦しゅうないと言う所じゃないでしょうか。お祭りを進めさせて頂きよりましたら玉串の時になって、二人も交代で上げさせて頂いたんですけれども、ね。
例えば商売人は幾度でも申します。私の店こそいわばお客さん本意だと言う事を言いよるけれども、それは儲けださなければ儲けさせて貰うこのごろは、ためにそう言う事を言うておる。だまくらかしとる本当にお客様本位。ね。お客様はお店の花である。けれども花であるがゆえにですしおれもすれば、散りもする。そこで何時もつぼんだのもある、中くらいに開いたのもある、また散り掛かってあっても良い。
このお得意さんだけは、上得意さんだと思うておっても、さ当てしておるというわけにはいかん。何時散るやら分からんのである。そういう何時も花に花を添えるようなおかげを頂くために、本気で御道の信心を元にしてです、本気でお客様を大事にしなければいけない。沢山買うて貰うたり愛想の良いお客さんならば、あの人はとても気持ちの良う、買うて貰うとかあの人はいわば。商売すれば儲かるとかと言う事で、大事にするなら誰でも大事にする。
もうあげなお客さんは来て貰わん方が良か。もうこぎるこつばっかりこぎってから、いいもんばっかりつけちから、と言う様なものがあるにはあるのですけれども、さあ神様が大きくして下さったのであるから、ね、それも矢張りお店の一つの蕾ぐらいには頂かにゃ、大事にしなければ開花しない、と言う様な精神でです本気でお客様本位の信心にならして頂き、そこん所にむつやいわば呉服店のいうなら。
決め手と言った様なものを、本気で頂かせて貰う事によってです、御徳を受けていきなさいと私は申した。それが真の神徳が分かりだしたら、実をいうたらそうせにゃ居られんのであり馬鹿らしいのである。真の神徳が分からんから、自分の都合の事ばっかり言うておる。何時ごろは忙しか。何時ごろはふっふっふ自分の都合を自分を中心にする。神様を中心に出来ない。
ならおかげは頂くけれどもそれでは御徳は受けられんて。今日ここに始めてお参りしている方があります。結婚されてから四年になる子供が出来ん。客間に待って頂いていたけれど、さっきお祭りにちょっと私が会わせて頂いて、お届けをさせてもらった。「結婚してからまあだ四年ぐらいなら、まあだ出来んで良いじゃないね」と。「もう少しもう愈々出来んと言う事になって、医者にもかかった薬も飲んだ。
愈々是は自分の子供は授けられないものと分かったときに、おかげ頂いたがようはないですか」と私が言うたんです。でもやっぱ偶然じゃろ腑が良かったつじゃろというごつなっと、次のおかげが受けられないからと私は申しました。ね。けれどやっぱり結婚して、四年でもなりゃ、いわばそのためにわざわざ今日は、お導き頂いて参っておられるのですから、矢張り早くの方が良かろうごたる風ですから申しました。
「みんなで今日を境に一つ私が、神様にお取次ぎさせて頂くから、ね、本うとにおかげを頂いたならです、成程この神様が子供は恵んで下さるものだ、ね、という例えば事を分からせて頂いてそれを動機に、それから本当の幸せを頂けれる信心をお勧めにならないけませんよ」と言うて話した事でありました。はあこれは神様のおかげじゃ。始めの間はそう。けど段々しまいに成って来ると偶然じゃった、腑がよかったになってしもうたんではもう、五年十年先になったらおかげもおかげと感じん様になる。
それではね真の神徳を分かると言う事は、愈々もって出来ない事になる。私は昨日むつやのお祭りを仕える前丁度お昼からでした。高芝さんやら永瀬さんやらの、ま主催でです、ね、そういうふうに別々になられてから、あのう柿狩りを催された。もうそれこそもう見事に広々とした所の、山を開墾して作ってある柿がもう鈴なり見事。そこをまあ見て頂こうとましてちぎって、食べてでも頂こうというわけなんです。
私はその山をこう歩かせて頂いておる時に、丁度森部の高山さんも一緒に奉仕に来ておりました。それから色々とその植木やらがどこにでも作ってあるとの説明をしながら山に登っていくんです。所がその檜苗ですね、檜の苗がざぁっとこうしてある。先生この檜がですね。去年は畳半分ばっかりの広さの真四角の、だから畳一枚ぐらいですね、のその所に六千本の苗が出来ます。一年生が種をまくと六千本の大体芽が出る。
ですから先生こがしこで六万円上がりました去年。今年は三分の一に下がりましたと、言う様な話を聞かせて頂きながらもう、檜といやあもうほんとにその、五十年経ち百年も経ちその上も経ったと言った様なのは、実に何十万というお金だそう。所がここにある檜は同じ檜でもいうなら、まあ三十銭方しか無か。ね。何十万する檜も三十銭の檜も同じ檜には変わりはないけれども、太さが違うそうでしょう。
お互いが信心させて頂いて、ね。三十銭方の所から芽が出て、これが本当にこの成長していかなければ行けない。何十年信心しとるから成長するというのではない。今日は久留米の笹谷さん、もう有名な総代さんなんです。今日も自分で口張って言うておられます。現在の櫛原の教会を背負って立っているのは、私で御座いますといわれます。もう七十になるお爺さんです。それが先月からその、佐田さんがその大変なおかげを頂いて、何かお礼に神様のお道具のおかげを頂きたい。
それでこのご結界のこの机が小さいから、大きいのをその作りたいというわけ。そんならそう言う様にお届けをさせて頂こうと言うて。その佐田さんのお父さんが、その日吉校時代の同窓生だそうです。だから父が笹谷さんに頼むと言いよりますから、ここに見積りに来て下さる事になっておりますからというお届けがあっとった。そして今日見えたわけなんです。ね。一つの何ていうですかねえ、思い込みの強い人というですか。そのもうそれこそ御用、御用の一点張り。
これはもう実にその極端な事を言われますですね。御用さえすりゃいわば、金に不自由する事はないと言う事。現にそのおかげを頂いておられる。この度久しぶりに会ってから、一生懸命に話される。丁度お昼になりましたから、ここで一緒にお神酒でも上げましてね、それからお食事させて頂きながら色々話されるんです。私は母の時代から、ただ母が喜ぶからツレのうて参りよった時代であった。私が二十五歳のときで御座いました。私が参ると初代の石橋先生が非常に喜ばれる。
それくらい私と石橋先生とは、仲良しじゃったとこう言われる。でもう私が学院に行くから、石橋さん学院のおかげば頂けちいわっしゃるけん、学院のおかげを頂いた。所が私が、あげなつばいっちょん好かん、覚えんから「もう先生私は、もう学院だけは出来ません」ち言うたら、「そんならあんた、これからなら大きか信心ばしなさい」ち。大きか信心ちゃ、どげなこつか分からんから、もう行くたんべんに、「笹谷さん、大きか信心せないかんばいち。」
今にして思うと今日の事だった、と言われるんです。私が二十五歳のときでした。先ず一生懸命、いわば材木一つ買わせて頂くでも、板ば二枚三枚自分でかたげて、製材所から買うてくるという時代でした。ある大きな商社の主人が見えましてからね、こう言う様なものを作ってくれんかという大量の注文があった。そこで「現在私は、資本がないから、ね、そう言う事はとても出来ん」と言うたら、「そんな事なら、心配しなさんな」と言わっしゃった。お話しているあいだ。
そしてから間もなくその当時、一かせ百円だったそうです一貨車が。その百円がたあまりの、材木を送って頂いた。それからもうずうっとその一貨車ずつ送って下さる様になってからもう、バタバタで御座いました。私共が大きくなったのはこのおかげだったんです。二、三回が出来ました。その主人が見えましたから「私ごたる、いうならスカンピン、私のような職人をです。
どうしてああ言う様ないわば、決断を貴方はつけられましたか」と言うてその、尋ねられた。そしたらその主人が言われるのにです、「あん時、ちょっと二階にどうぞお上がり下さいち言うて、二階でお茶を頂いとろがの。そしたらあぁた方の床の間は、床の間いっぱいの御神様がお祭りしてあった」ち。ね。「この人ならば、幾ら送ってやったっちゃ、引っ掛けるような男じゃなかと、私はあん時思うたから」、はっ何時もの様に、送ってくれよる。皆さん大きなお社ば、おおきくせにゃいかんですばい。
確かにしかしあのう素晴らしいとこを見てあると思うですね。その人が言われました。「私が取引させて頂いたら、先ずこの仏壇ば見る。その家に宗教があるじゃろかと言う事を見る。そして何かそこに宗教らしい、兎に角そのご仏壇の光り輝き、しよるごたる家ならばです、今はどげんだったっちゃ、金は後からでんよかけんで、早速作っとかんのと言うて、材木は私が送ってやる」ち。そん時にですね、それば言い出さしゃったら、男泣きに泣かれるです。
いわば七十ですからもう、五十年前のことを思うて泣かれました。私はそん時にその泣かれる内容は違いましょうけれどもですね、そん時に神様はです、ね、神様があそこにおかげを下さったときに、そのおかげを頂きとめられた笹谷さんの心に、神様が感銘感激を受けなさったであろうということです。丁度そう言う様な事のです、ま、十日か十五日、そこは、私ちょっと聞き忘れましたけれども、電話が架かってきた。「笹谷さんちょっと来るように」。
行った所がです、どっかの満州行きの方の、お社を作れと言う事だった。そしてあんたげのです、床の間いっぱいのお社を作れといわっしゃた、金光様あの石橋先生が。そらあんた、あればっかりゃ作ったっちゃち言うたばってん、よかけんあんた寅年じゃなかね。お床の間いっぱいに作れといわっしゃった。それから間もなくです。もうこの事がもう泣かにゃおられんち言うて、泣かれました。ね。こう言うとこを通ってきとるのに、いや真の神徳知って来とるもんだから、ね。
神様の喜び頂ける事のために御用させて頂くなら、絶対おかげが頂ける。いやおかげは頂かんでも、最近私が思う事は度胸だと。これでもうお供えさせて貰うおかげ頂くけんとか、おかげ頂いたけんお礼の印とか、言うもんじゃ無か。ね。こげな事言うちゃなんじゃけと申しませんでした。自分でですね。もう私は久留米の櫛原の教会は私がいなけりゃ立たんといわれると、言われておった。ね。親先生も仰った、あの御神徳の中から生まれてくるあのお言葉をです。
今でもいちいち思い出させて頂く。仕事のなかったお願いに行くと、注文取りの池田さんと佐々木さんと仰ったそうです。ね。注文取りはお広前に出てお出でと仰った。注文取りにここへお広前に出ておいでと。だからそれからこの方というものは、私のほうは別に外交に回らないのが、私共のいわば決め手である。さっき私がむつやにこげなこうまか店の方針で、あそこは絶対外交はしないと言う事。
おかげでいわば外交員は私の方では、あれだけの大きな工場しとりますけれども、せずに次から次と仕事のおかげを頂いておりますとこう言うておられます。今朝からでした。今朝からというが、いつも朝の御祈念にはお参りになるのに、今日に限って十時ごろでした。熊谷さんがお参りになったのが。夕べお届けのありました後に「先生この事は、あの申し上げなければ分かりませんから、あのお届けさせて貰いますけれども、とても本当とは思われないようなことが今朝から起こりました」とこう言われるのです。
必ず椛目にお参りする前にです、一番汽車に乗ってみえられるわけなんです。その前に必ずお水を掛からせて頂いて、御神飯を炊かれるのがこれが毎日の修行なんです。ね。しかも、御神飯を炊く鍋はちょっと小さいはがまを買うておる。今朝もその御神飯を炊こうと思うてからこうなんか、鍋が三つあそこ三人しかおりませんからね、もう鍋なら鍋でも小さなそれが三つこう、まガスかなんか掛かっておるそうです。
止めた所がね、御神飯のはがまの蓋がね、コトコトコトコトコトコトと音がするほど動くそうです。それでこう私は夢かなにか見よるじゃろかというてこうしてから、またこうして上がりよるのです。娘を起こして見せちょっと呼びに行こうというぐらいに思うた。それがまた、ねずみか何か中に入ってどんおらんじゃろかと思うて、蓋取って見ましたら、中にはなんと御神飯が炊いてございました。
御神飯じゃないそれを聞き正された所が、あの娘さんの洋子さんがですね、前の晩にそれでご飯を炊かれた間違えて。こうら御神飯炊かせて頂くはがまに炊いたからと、食べんなりそのまま置いてあった。先生もうこの事を私人に言うたっちゃ本当と思われますまいからばってん、ほんなこつですけん、お届けさせて貰いますと言うて、私のなんかこう目にですね、ほんとにこう粟粒が全身に出来ました。
何故って私がそれと関連する事を、今朝から失敗したり、おかげ頂いておったりしておったからで御座います。今朝私が目覚ましのおかげを頂いたのはもう、五時前五分でございました。もうそれこそびっくり致しました。本当にもう命の縮む思いを、大げさでなく、本当にそうです私の場合は。命の縮む思いを致しましてから、紋付袴を付けさせて頂いてもうそれこそ。
中に着る着物が昨日からもうそのままもうハンカチもタオルも持たずにですね、下へ飛び降りてましたら、その五時前一分と言うとこでした。さあ間にはおうたけれども、御神飯がどっこい間におうとらん。さあ家内も慌てだしました。御神前に座らせて頂いてから、五、六分の後私が一足先に起きておりましたから、御神飯だけは成程五時、まあ十分ぐらいには、お供えが出来たんですけれども。
私がもう今日は神様がおなりになって御座らんと同じ事だと私は思うた。今日例えばあの今日は笹谷さん、こんな事を言うておられるんですよ。「もう話の上手な先生の話しどん聞きなさんな」ち。「もう絶対あらしらごつじゃけんで、おかげは頂きゃせんよ。その代わり、話の上手なとこの先生は、もう絶対教会にゴヒレイが立ちよりますまいもん」ち言いよりなさった。
ほんなこつですもん。確かにそうです。あんまりいい加減なもんじゃけん、自分なその、三分の一も出けんもんじゃから、おかげはいっちょん頂かん。所がね勿論私上手でもないけれども、椛目の場合だけは違うと私は思う。私が十話しよるときに、あのはまあだまだね、まだ十ぐらいあると思うて下さらなければいけません。ね。ほんとに例えば私が今も申します、。
例えば私が、朝の御祈念に一分間でも遅れたらです、本当に私が本当に命の縮む思いをするというのは事実なのですから。さそこにで先ほど申しましたようにです、桧の一年生から何百年生まであると言う事。新芽が育ったばかり、ね。けれども是が育って参ります時に十年経ち、二十年経ちするうちにです、ね、どの様な御用にでも使われる様な、大きな桧にならせて頂いて、おかげを受けなければならん。
大きなそう言う事になってまいりますとです、例えば私ぐらいなおかげを頂いておれば、もう神様と私共の間には、そう言う様なものが交流致します。まあほんと、カチッという音にでもうしろ気を使います。一様にしきんでも心を使います。ね。ですからとても私がですいわば、言うておる事が嘘になっておるようなものがお取次ぎさせて頂いたっちゃ、お取次ぎだけはさせて頂こうけれども。
御理解でも伝えたっちゃ同じこつと思うたから、私は今日は五時もう半には、御祈念が終わった。そしてその事を言うて、今日は御理解を私は御無礼すると言うて、御理解もいたしませんでした。神様に断食させるのであるから、私も断食させて頂こうと。お許しを頂くまでは、ご飯を頂くまいと私は心に決めた。勿論私が決めとるから、恐らく私共の家族の大人だけは、今日はお食事が頂けんもんだと。
今日お昼のときでした。古賀先生が「もう今日はご飯の食べられんかと思うたら、おかげを頂いてから」ち言うてからその、言われるんです。私が頂かんち言うとに、何で頂かれまっしょうかいねえ。所がですその熊谷さんが参って見えられる前に、私の心の中に響いてくる御神事が、ね。ご飯ば炊こうと思いよりますけん、間に合いませんけん、すみませんばってんもうお冷ででもよございますけん。お茶漬けでもいっぱい頂いていって下さいと言う様な事。冷でもすみませんご飯がございません。
お冷ですみませんけれども、お茶漬けででも上がっていって下さいと言おうがという事を頂く。その事が気が付かなかった。いうなら今日お供えさせて頂いたのは、冷や飯のようなものであったろうけれどもです、神様が夕べから洋子さんに間違わせて、御神飯を炊く釜で、ご飯を炊かせて、ね。一晩たっとるから冷ご飯になっとるけれども、私と熊谷さんがつながっとる証拠にです、今日はもう熊谷所で冷ご飯頂いたぞうと、言うて下さっとるわけなんです。
私はもうこれを頂いたときにもう、なんて素晴らしい有難いものだと、それこそガタガタ振るうごたる怖さを感じました。皆さん方も神様に奉仕をなさる。お花の水を替えられるとか、ね、お神酒をお供えなさるとか、御神飯をお炊きになってされると言う事にはです、例えば神様そのご飯を、その食べなさるわけではなかろうけれども、そういう思いというものが、神様と私共の上に交流するときです、身に神徳を受けていくときだと私は思うのです。ね。
私共はそこん所をおかげを頂かせてもろうて、私は先日からおかげを頂いたわけではないですけれども。ただ願うておかげを頂くという程度の事に留まらずに、もういらんと言うても神様のほうから、来られる様にです追いかけてです、ね、追いかけてでも下さらにゃおかんと言う様なおかげを頂けれる基礎を土台を、今こそ作っておかなければいけん。これは私がもう申します。私がおる間でなからにゃここは分からん。分からん所があれば、お伺いすれば分かる。
昨日竹内先生が言うておられたように、どういう難儀な問題でも、分からない事でも、御神意を頂いて、頂けれると言う事。次のヒントを頂かれると言う事。それを頂くと次の元気な心が出ると言う事。椛目に御神意を頂いたおかげ、古賀先生の話じゃないけれども、ここでは生きた神様を見せて頂く事が出来、生きた神様のお声を聞かせてもらう事が出来ると言う事が有難い。
それは私が生神様という意味じゃない。私の上に現れなさる所の神様なのであるという言。おかげでお昼ご飯を頂く事が出来ました。例え今日なら私がお話をしており間すお話でも、疑うて聞いたらそげな馬鹿な事があるもんかと、一笑に付せる方があるかもしれませんけれども、それ所辞ゃない、椛目に来ると何時も、雰囲気を確かに頂く事が出来るのだと。ね。疑うたらもうきりがないのです。
だから疑いを離れて真の大道を開き見させて頂く。わが身は神徳の中に生かされておると言う事が分かる。分かるから自ずと湧いてくるもの。それは神恩報謝の心である。その神恩報謝の心その喜びの心が、おかげを受けていく所の、受け物になるわけなのです。御神徳の話に本当になる。今日毎日曜の朝参りしてきますけどここ二、三日参って来ませんもん、( ? )の上滝さんが。
それで今日参って参りましてから、先日の八幡かね兄弟がいるとこは。戸畑かどっかあっちの方へ行っとろうが。あっちのその甥が交通事故で、いま遭うたという電報が来たから、もうお届けもせんなり先生参りましたち言うですたい。そしたらおかげで大変おかげ頂きましてコウコウで御座いましたけれども、まっ意識不明と言う様な時にですね、頂いておる事です。これが椛目の先生じゃろか。これが何時もおばさんが言う金光様じゃろかと言う様なですね、方がこの身体全身をおかげ下さったという。
なんか夢うつつの中に頂いておる。上滝さんは上滝さんでその、その朝頂いておる事がですね、家の中に一人信心すりゃです、一家が助かり一家中が信心すりゃ、親戚中が助かると言った様な事を頂いておる。そして難儀があった時にですね。そこにあの、東さんですたい、ね、東さんが何とか言ってましたですね、何か持ってきてくださった、そこはちょっと失念しましたけれども、東さんが使われた。東さんがその今交通事故の係りですからね、もう福岡署で。ですからその事に関連した。
上滝一家が助かるから、全然信心の基本もなからなければ、何もないですねただうわさに聞いただけの金光様が現れなさってる。八幡の甥の上にもおかげを頂いてから、医者がたまがるようなおかげを頂いておると言う事。ね。銘々信心させて頂けばです。『疑いをさって、信心してみよおかげは和賀心にあり』と。『信心しておりゃ目に見えるおかげより、目に見えぬおかげのほうが多い』というのはこの事なんです。まあだまあだ、
(途中切れ)